書界の報告

本を紹介するよ!

ホメロス『オデュッセイア』 その1

 ホメロスギリシア語で Όμηρος と書く。正確に発音すると「ホメーロス」。ただ日本語で「ホメーロス」と書くと「メー」にアクセントを置きたくなってしまうが、実際は「ホ」にある。だから自然な日本語風に「ホメロス(「ホ」にアクセント)」というほうが原語に近いかもしれない。

 ホメロス古代ギリシアの詩人である。古代といってもプラトンなどの哲学者や民主制で有名なアテネが栄えるさらに数世紀前の人らしい(紀元前8世紀とか)。大昔すぎて正確なことはいえないが、プラトンの時代にはすでにかつての大詩人として知られていた。その彼のふたつの叙事詩イリアス』と『オデュッセイア』は世界文学史上不朽の名作として今日も輝きを失っていない。今回はとりあえず『オデュッセイア』を紹介する。『イリアス』もおもしろいが、『オデュッセイア』のほうが文学的な味わいが深いと思う。

 昔、私の父が「オデッセイ」という自動車に乗っていた。父は私にたびたび「『2001年宇宙の旅』の『旅』は英語で『オデッセイ』っていうでね」といって自分のクルマ選びのセンスを誇っていた。『2001年宇宙の旅』はスタンリー・キューブリック監督の有名な映画であるが、その原題は「A Space Odyssay」、「Odyssay」という言葉が含まれている。これは父のいったとおり「旅」や「冒険」を意味する英語の単語だが、もともとは「オデュッセイア」の英語形である。

オデュッセイア』はギリシアの英雄オデュッセウスの冒険の物語である。オデュッセウスは、トロイア戦争において有名な木馬の作戦を考案したほど知略に長けた男。戦争終結後に彼が妻と息子の待つ家に帰るまでの苦難の旅が描かれる。

 核心的なことは次回にまわして、まずは好きなエピソードをご紹介。

 オデュッセウスは旅に疲れて森で眠っている。そこへ女たちがやってきて歌って踊り始めた。オデュッセウスは目を覚まし、そちらへ近づいていった。

 …勇士オデュッセウスは、灌木の茂みの下から這い出ていったが、その際、肌を蔽って男の陰部を隠すため、逞しい手で生い茂る木立から、葉のついた若枝を折り取った。這い出てゆくその姿は、さながら山育ちの獅子のよう、…オデュッセウスは切羽つまって今はやむなく、裸身をも顧みずに髪美わしい娘たちの群に入ろうとした。(松平千秋訳)

 このような姿で近づいたものだから女たちは逃げてしまう。ただひとり逃げなかったのはその国の王女のナウシカアだった。ナウシカアはオデュッセウスがただのホームレスではないことを見抜き、案内を申し出る。逃げようとした女(女中)たちを𠮟責してこういう。

 お前たちは立ち止まりなさい。男の人の姿を見たからといって、何処へ逃げてゆくのです…

 強気である。こうしてボロボロのオデュッセウスに食事を与えて命を救う。ナウシカアには婿がいないのだが、体を洗ってきれいに身だしなみを整えたオデュッセウスにこういう。

 下賤な心根の男がわたしらに出会ったら、こんな風にいうかも知れません。「あそこにナウシカアの後から随いてくる、すらりとした美男の異国人は何者であろう。ナウシカアは何処であの男を見付けたのかな。いずれは彼女の婿になるのであろうが。…」こんな風にいうでしょうし、それが私にとって不面目なことになるかも知れません。

 妄想癖があるのだろうか。はたしてナウシカアの父・アルキノオス王もオデュッセウスのことが気に入る。

 …そなたが、この地に留まってわしの娘を妻にし、わしの婿と呼ばれるようになったらどんなによかろう。

 しかしオデュッセウスには帰るべき国と家族がある。婿にはなれない。別れの時が来る。ナウシカアがオデュッセウスにかける最後の言葉は、

 ではお客様、御機嫌よう、国へお帰りになっても、いつかまたわたくしのことを思い出してください、誰よりも先にあなたの命をお助けした御縁があるのですから。

 もうお分りの方もいるかもしれないが、宮崎駿監督の『風の谷のナウシカ』の主人公の名前はこのナウシカアからきている。キャラクター造形にも影響が感じられる。『オデュッセイア』という長い物語の中でこのナウシカアのエピソードはほんのわずかなのだが、確かな印象を我々に与え、現代日本のアニメ作品にもその顔をのぞかせているのである。