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ホメロス『オデュッセイア』 その2

オデュッセイア』は神話を基にした奇想天外な冒険譚の数々が魅力的だが、その根底には古代ギリシア人の特徴的な人生観がある。これは『イリアス』にはあまり見られない。『イリアス』はトロイア戦争における傑物たちの活躍を謳っている。彼らは感情を爆発させ、戦争にあって生き生きしている。対して『オデュッセイア』のオデュッセウスは耐える。耐えることで道を切り開いていく。『イリアス』より後の『オデュッセイア』では倫理というものが芽生えている。

 オデュッセウスは登場の場面でカリュプソという仙女に誘惑されている。彼女と夫婦になれば不死になれる。ギリシア人は神々を不死なる存在、人間を死すべき存在と定義して区別していた。彼らには不死への羨望がある。しかしオデュッセウスはその誘いを断って家族のもとへ帰ろうとする。不死よりも自分の人生を選んだ点にオデュッセウスの勇敢さがある。オデュッセウスの旅の苦しみはいつ死ぬともしれない人間という存在の悲しみをも象徴している。

 旅の途中でオデュッセウスは冥府をも訪れる。そこには『イリアス』の主人公であり、溌溂とした英雄であったアキレウスもいた。アキレウスは明らかに生きていたころに比べてテンションが低い。死という現実を突きつけ、先行する『イリアス』の批評にもなっている場面である。

 またホメロスあるいは当時の叙事詩の特徴であるが、人間の行動を神が操っているという場面が多い。これは当時の人間には明確な意識というものがなく、明らかな自分の心の声でない潜在的な心の声を自分のものと認識できなかったという説がある(ジュリアン・ジェインズ)。人間はこの潜在的な声を神の声だと錯覚する。ホメロスの時代にはこれがより強かったという。

 また、古代信仰の例に漏れず天候や天変地異も神の仕業とされた。オデュッセウスの旅もよくこのような自然の神々に邪魔される。人間は行動も環境も神々によって制限されている。ごく狭い運命をしか生きることが許されない。自分の生を自分の意志で生きることができないという、ここにも人間の悲しさがある。

 ホメロスは英雄の勇敢な冒険を歌いつつ、同時に人間の小ささも歌っている。この矛盾こそが人間なのだともいえる。『オデュッセイア』が色褪せないのはこれが極めて近代的な人間像を提示しているからであろう。